ことばのたからばこ

溢れたことばを綴ります。たからばこにそっとしまうように。

夢と現実の違いは?

みなさん、夢を見ますか?

寝てる時に見る、あの夢。

 

あたしは毎日見る。

 

中身をはっきり覚えてる時もあれば、ぼやけてる時もあるけど。

 

でも、いつも思うのは、

 

『あぁ、醒めたくないなぁ』。

 

夢の中って、なんでもできるやん?

 

空を飛んだり、素晴らしい才能が使えたり、好きな人と一緒に居れたり。

 

今まで知ったこと、学んだことを自分なりに『夢』についてまとめてみた。

 

ただのアウトプットで、正確性も根拠もないのでふーんくらいの気持ちで思っててください。笑

 

その1。夢と現実ってどう違うの?

もともと、私には、『今この現実だと思っているものは、夢と同じだ』という価値観があります。

 

確実な根拠はないけど、感覚的に、本質はここじゃない、と思ってる。

 

「エルハワリ愛実」を体験するために、「エルハワリ愛実」じゃないものが私の内側から私の目を通して眺めているせかい。

 

これが現実。(少なくとも「エルハワリ愛実」が感じる、現実)

 

じゃあ、寝てる時にみる夢はなにか、っていうと、

 

たぶん、別の世界の私、なのかな。

 

あるいは、まったく他人の人生かもしれない。

 

たとえば、寝てる時って現実はどうなってるんだろう。

 

「エルハワリ愛実」の目が閉じられて、意識がなくなっている間、本当に現実はそこに存在してるのかな?

 

見て、触って、感じて確かめることもできないのに。

 

てことは、その、意識がなくなっている間、別の誰かになっていてもおかしくはない。

 

それこそ、『君の名は。』みたいに、誰かの人生と入れ替わってるかもしれない。

 

しかも、もしかすると「エルハワリ愛実が見た夢」、ではなく、「誰かが見たエルハワリ愛実の夢」かもしれない。

 

それもたしかめるすべがない。

 

今読んでる本で、さとうみつろうさんの『悪魔とのおしゃべり』にも書いてたこと。

 

するすると違和感や疑問がほどけていくようで、きもちがいい。

 

この辺の話に興味がある人は是非読んで見て!

 

まぁ、それは置いといて。

 

もう一つ気になること。

 

その2。夢と現実の、自由度の違い。

 

夢の中だと、どんなことも自由にできますよね。

 

コントロールできるか、という意味じゃなく、可能かってこと。

 

それこそ、生身の人間が空を飛んだり、物が浮いたり、ゾンビに追いかけられたり。

 

芸能人とデートしたり、スパイになったり、まるでSF映画のように。

 

現実ではできないことができる。

 

なんでこうも違うのかな?

 

それはたぶん固定概念がないから。

 

生身の人間は空を飛べない。物には重力があるし、ゾンビはいない。

 

芸能人とはデートできないし、スパイにもならない。

 

要は、信じてないんですよね。

 

自分にできるわけがない、そんなこと起こるはずがない。って。

 

でも夢の中なら、「信じていない自分」がそもそもいない。

 

だからなんでも可能になる。

 

じゃあ、その1の話で出たように、現実も夢の中も同じなら、

 

信じればなんでも可能になるんじゃないかな。

 

問題はそれを心の底から本気で信じることができるか、だけで。

 

それは、信じれば夢は叶う。とか、奇跡とか言霊とか。

 

いろんなとこに転がってる。

 

どうするかは自分次第。

 

まぁもっというと「自分」を体験するために「自分のなかにいるもの」が決めるんやけど。

 

ふぁ、まぁ、ぜんぶ個人的な見解にすぎないし捉え方は様々やと思う。

 

もうちょい勉強しよう。

 

なんかでもこの辺の話もっとしたいし、興味がある人お話しましょ(*^^*)

 

また溜まってきたらまとめる〜。